おしゃれタウンでのお買い物は魅惑がいっぱい

土曜日の昼下がり、おしゃれな雑貨屋さんがある町へ行ってきました。この町には美味しいレストランやカフェやセレクトショップなども並んでおり、一日では網羅できないくらいに魅力的なショップ達が軒を連ねておりました。こうした町を訪れると私は決まって書店を探すことにしています。この日も到着して早々、個性的でいかにも面白そうな作品を取り扱っていそうな古本屋を発見し、何冊か購入しました。幸先のよいこともあって、「今日はきっといい出会いがある」というささやかな希望が湧いたのでした。その直感は当たり、友達に連れて行ってもらった雑貨屋には、インテリアグッズに美味しそうなスイーツ、料理によいスパイスを与えてくれそうな調味料、また暮らしについて書かかれた書籍などが売られており、まさに今の私の求めているものにぴったりなショップでした。本はまとまったところに置かれているわけではなく、棚に並ぶ商品にあった作品達がその横に並んでおり、ディスプレイも斬新だと感じました。以前からよく知る著者が書いた随筆や料理研究家のエッセイ、また女優さんが手掛けた日記など、のどから手が出てしまいそうなほどに購買意欲を欲したものです。何冊かのエッセイとショップの片隅で屋台のように展開されていたカフェで手作りキャロットケーキを購入し、家路に着いたのでした。この夜クリームチーズとシナモンたっぷりの濃厚なキャロットケーキを食べながら、戦利品と称した本達を眺め一人ごちしたことは言うまでもありません。

体は資本です

「体は資本」というフレーズは当たり前だと思うが故に、健康な時は甘んじてしまい、体が発している信号に気付かずにいることが多々あります。しかしながら風邪を引いたりすると、健康のありがたさを強く思い知らされ痛感させられるものです。
以前少々不規則な生活がたたり、熱を出した時のこと。節々や頭が痛くて身も心も重く、なんだか気持ちがずっしりと凹んでしまい、ムチを打つようにこきを使ってしまった自らの体に深く詫びたことが思い出されます。私はあろうことか、ここぞとばかりに読書をしようと目論んだのですが、本を開くことは全くできずただ眠気に任せて寝ていたことは言うまでもありません。本を読むこと、音楽を聴くこと、お酒を飲むことなど、日常生活を楽しむためにはやはり体が資本だということを、風邪が教えてくれたことは良い経験だったと思っています。
このことがきっかけとなり、あまり自分に厳しくなり過ぎず、疲れたらぐっすり眠り、バランスの良い食事を積極的に摂っていこうと強く心掛けるようになりました。またメンタルもフィジカルもバランスよく保たれていることが、いいコンディションなのだと改めて感じ、生きることの奥深さを知る気付きとなったことに感謝をしております。

日曜日の夕方に読みたいマンガ

日曜日の夕方に週末について書かれたマンガを読みました。この作品はまるで詩のようでもありまた小説のようでもある、非常に文学的なところがお気に入りです。短編から構成されており、登場人物達の普段とは少し違う日常の様子が描かれております。そのためクスっと笑ってしまうようなユーモアもあり、なんだか私自身がとても不思議な経験をしているような感覚を覚えるのです。最もお気に入りなのは、臨終の訪れを目前とした真面目一辺倒に生きてきた男性が、いきなり病院のベッドから起き上がり、まるでラップのように過去の恋愛遍歴を語るものです。大人向けのシュールなラップを読んだ時、部屋の中で大笑いしてしまったほどでした。恐らく絵に描いたような真面目さと誠実さがありながらも、心の中には色々な鬱憤が溜まっていたのだろうと感じました。それが臨終の時に垣間見えてしまったところが滑稽で非常に面白かったのです。他にも恋愛のもつれで少々痛いことになってしまう登場人物達が出てきますが、どれも後味がとてもさっぱりとしたお話になっているので、まるで漫才の小ネタのようにサクッと読むことができるのが、最大の魅力なのではないかと思います。翌日からスタートする新しい一週間を楽しく迎えるためにも、このマンガは私のマストアイテムとなっています。

シンプルに暮らし丁寧に生活を見つめること

日々の何気ない生活を丁寧に送ることができる女性は素敵です。忙しさや沸き起こる苛立ちや不安に身を任せてしまい、暮らすことをおざなりにしてしまうことが多々ある中で、凛とした気持ちを保つことは非常に難しいことだと感じます。暮らしについて深く考えるようになったのは、年を重ねながら培われた経験からからもしれません。こうした気持ちを持つようになってからというもの、いつも目の前にあることを楽しみながら地に足を着けて送ることをより一層真剣に考えるようになりました。
今読んでいるエッセイは、私が大好きな一本の小説を手掛けた女性作家が書いたものです。食べることや生きることの奥深さを心の底から感じたあの小説を読んだ時、作者のことをもっと知りたいと思ったことを今でも覚えております。そのため現在読んでいるエッセイを手にした時、嬉しくてワクワクとした気持ちになったものです。随筆を読み進めてゆくうちに、あんなに素晴らしい物語を書くことができるのは筆者が「生命と暮らし」をしっかり見つめているからだと知りました。ここ最近の私は暮らす上で大切なことを見失いつつあったため、忘れてはいけないことを改めて教えてくれているように感じています。
消費の欲に任せて買い物をすることや豪華な食材に舌鼓をすることも楽しいものですが、一旦足を止めてシンプルを追及してみることで知る幸せもあるもので、こうした試みが新しい感覚や価値観を育むよきチャンスにもなると感じます。このエッセイは、自分らしく生きることを改めて見つめ直すよい機会を与えてくれたのでした。

カオスなカフェは無頼派がよく似合う

先日ユニークなカフェに行ってきました。アーティスト達のアトリエやスタジオがある建物の一画にある店でした。表向きは都会的でとても洗練された建築物でしたが、一歩中に入るとカオスを感じさせる内装になっていて、そのギャップがあまりにも面白くて私はその店のファンになってしまいました。
小さなカフェスペースの真ん中には巨大な丸い筒のような本棚があり、訪れた人達が食事やお茶をしながら読書を楽しむことが出来るのも魅力でした。また小さなステージも設置されおり、夜はライブも開催しているとのことです。イベントも本も堪能できるとは、さすがはアーティスト達が集う場所にあるカフェだと思ったのでした。
この日はココアを頼み、椅子に腰かけて本を読むことにしました。巨大な棚に置かれた書籍はマンガやエッセイ、小説に雑誌とジャンルも豊富でどれから読もうか迷ってしまいました。しかも今まであまり目にしたことのないようなアンダーグラウンドな本も多く、「全部制覇してしまいたい」という衝動に駆られたものです。数ある作品の中から今は亡きアーティストについて書かれた雑誌を手にしてゆったりとした時間を過ごしたのでした。混沌とした内装にも関わらず居心地がよい空間だったため、数時間ほど読書を楽しむことができました。
のんびりと有意義な時を過ごしながらもっとも心に残ったのは、この店を一人で切り盛りしていた男性でした。まるで昭和の文豪のような無頼派をイメージさせる出で立ちが印象的だったからです。そして彼の心の籠った接客がとても胸を打ち、また訪れようと心に決めたのでした。

亡き妻が残したとっておきの日記

キッチンの片隅に残されたノートには、妻が生前記した愛おしい記録が残されていました。料理のレシピや日常のささいな愚痴、心に残っている小説など、生きてきた中で彼女が経験してきたことが時にはユーモラスに、また時には真剣な眼差しで書かれておりました。夫は亡き妻が予約したカリスマ講師が教える料理教室へ行くことになり、その準備としてシイタケを煮ます。しかしながら今まで家事を全て奥様に任せていたため、干しシイタケを水に戻すということすら知りません。四苦八苦しながら、堅いシイタケを煮ている時にそのノートに出くわすのです。最初はただ何となく読んでいたのですが、そのうち鮮明に残された記憶を真剣に辿り始め、いつしか今まで頼っていたインスタント食品から卒業して、台所に立つようになるのです。そんな父のご飯を食べに娘や孫が頻繁にマンションに通うようになり、家族の関係を改めて築いてゆくのでした。
妻はあまり深く考えずにこの日記を書いたのかもしれませんが、残された者達にとっては最良の宝物になったと感じました。また母が家族のためにご飯を作ることは当たり前のように感じていた若い頃を思い出し、ちょっぴり申し訳ない気持ちになったものです。それは、ノートに家族のために作る料理へのちょっとした不満が書かれていたからかもしれません。
この小説からは料理をすることはもちろんのこと、日常の中にあるささいな不満や幸せは生きている者にしか味わうことができないものです。これから先の人生、いい事も悪い事も美味しい事もしっかり味わいながら大切に育んでゆきたいと感じたのでした。

犬用紙おむつ

この前、愛犬雑誌を読んでいたら、今は世の中高齢化が何かと問題になっているように、ペットの高齢化も問題で、介護グッズが人間さながらに紹介されていました。「へぇ、こんなものまであるんだ」と驚きの連続です。その雑誌に犬用の紙おむつがいくつか紹介されてて、ちょっと興味が湧きました。なぜって、うちのワンコが最近、いわゆるおねしょをするんです。寝ていたところが濡れてるんです。フローリングならまだマシだけど、カーペットの上はやっぱり困ります。拭いても臭いが残りそうです。消臭スプレーをシュッシュッとかけても、度重なると心配です。けど、歳をとってきたから、そうなってしまってるわけで、叱るには可哀想なんです。そして、先日、思い切ってペットショップで犬用紙おむつを買ってきました。袋から出してみても、もひとつよくわからなくて、しばらく袋の説明書きとにらめっこでした。真ん中に空いてる穴は一体なんだ……と思っていたら、それはしっぽを出すところでした。「そりゃそうだ」と納得です。いざ装着! 私がワンコを抱え込んでつけようとしている間、彼女はブルブルと震えていたんです。一体何をされるのかと怖かったんでしょうね。でも、私はその様子に笑いが止まりませんでしたけどね。ようやく装着できたけど、ワンコは落ち着かない様子でした。それも、つけ方が悪かったのか脱げてきてしまいました。今はまだうまく使いこなせていません。練習中です。ワンコでなく私が、です。

人形の世界に魅了されて

幼い頃八頭身のバツグンのスタイルを持つ着せ替えドールが大好きで、よく幼馴染と遊んだものです。彼女のお母さんは裁縫が得意だったため、お手製の洋服などを持っていることもあってか羨望の眼差しで彼女を見ていたことを思い出します。そんな幼少期の思い出を振り返るきっかけとなったのは「人形」に関わる随筆を読んだからです。この書籍は可愛いさや美しさだけではなく、怖いストーリーを描いた小説なども紹介されていて興味深く読ませていただきました。サイコパスをイメージさせる犯罪者が登場するものや官能的な世界を描いた小説に登場する人形達はまるで宿っているようにも感じました。まるで決して開いては行けない扉を開けてしまったような罪悪感を抱きながらも、こうしたストーリーを描く作家の内に秘めた思いを知りたいと感じたのでした。特にサイコパスを描いた物語は非常に面白そうで、夜眠る前に読む自信はありませんが是非手に取ってみたい作品でした。
さてお人形さんと言えば頭に浮かぶのはロリータファッションです。以前仮装パーティーに参加した時にゴスロリファッションに身を包んだ可愛い女性に出会い、話しかけたことを覚えています。服装だけではなく佇まいなど全てに世界観があり、思わず魅了されてしまったのでした。それはまるで幼い頃に出会った着せ替えドールを手にした時と同じ衝動だった気がします。こうした幾つかの偶然の出会いを受け、今まで知らなったロリータや人形の世界を少し垣間見てみたいと思う気持ちが増殖しつつあります。可愛さと恐ろしさが表裏一体化した世界の扉をくぐることで、私の趣味やセンスが少しずつ変わってゆくのも悪くないと思うのです。

洗練された生き方をする女性達のキッチン

おしゃれで美しくて洗練されたライフスタイルを生きる女性がどんなキッチンで料理をして食事をしているか、私はとても気になります。こうした方々の生活を知ることは、自分自身の暮らしにも良い影響を及ぼすと思うからです。そんなことを考えていた時、古本屋さんで活気的な書籍を見つけました。それは今から10年程前に出版されたキッチンについての本でした。この作品は、当時テレビや雑誌、ファッション業界などで活躍していた女性のキッチンと取材で訪れた時に振る舞われたご飯について書かれていました。特にお台所にはそれぞれの思いが活かされた料理器具が揃っていて、インテリアも個性が生かされたものになっていました。大きなカウンターキッチンや水色のタイル張りの内装、窓から見ることが出来る心地よい風景など台所にはその人の暮らしを豊かにするための思いが詰まっていると強く感じました。また発売されたのが10年前ということもあり、今では既にその業界から引退されている方も掲載されていたのも懐かしく思いました。
勉強になることもたくさんありましたが、強く感じたことは「普段垣間見ることが出来ない台所という空間で手際良さそうに調理をする姿は見ていてよいもの」ということです。私もこの書籍に掲載されていた女性達のように料理を生活の一部として楽しむ心意気を忘れないようにしようと思いました。

常識とは一体何なのだろう

世の中の常識とは一体何なのか。それは礼儀であったり人への振る舞いであったり、物質としての形がないからこそ漠然としていて、難しく捉えてしまうのではないでしょうか。また仕事や職場、育った環境やコミュニティにより常識というのは異なってくると思うこともしばしばです。
今読み進めている小説は現代社会で生きることの難しさと滑稽さが散りばめられていて、面白くもありとても複雑な気持ちになる作品です。主人公の女性は幼い頃から人とは違う感覚を持っており、いつしかそれを他者の前で見せてはいけないものとして封じ込めようとします。しかしながら性格や生まれながらに持ったものはそんなに簡単に隠せることは出来ないため、四苦八苦しながらも普通であろうと努力をします。それを頑張るほど普通とは掛け離れてしまうところが、この作品の面白さでもあると思いました。そして私自身にもこの小説の主人公のように世間からずれているところがあることに気付かされます。それと同時に誰しもが社会に上手に溶け込むことができない何かを持ちながら生きているのではないかという疑問さえも湧いてきました。
「空気を読む」という言葉がよく用いられますが、これを実行するために湧き上がる気持ちを押し殺すことも多いような気がします。集団生活に溶け込むために大切なことと思えますが、そこまで無理をしなくてもよいのではないかとも感じるのです。現在読んでいる小説はまだ途中です。空気を読むことが苦手な主人公が今後どのような暮らしをして物語のエンディングを向かえるのかがとても楽しみです。