人の体って自分の自由にならないことも多いですよね。たとえば、咳だとかくしゃみもそうです。しゃっくりだってそうですよね。突然出始めた時には困ってしまいます。我慢しようと思っても出てしまうんですから。無理に抑えようとすると逆効果で、とんでもなく変な声が出てしまったりするから要注意です。
私の場合、かなりの確率で困るのがおなかです。そうおなかが鳴るんですよ。家にいる時なら別段問題ではないんだけど、ミーティング中だとか真剣な会議中に鳴ると気まずいといったらありません。さっきまで全然平気だったのに、急に空腹に襲われるというか、ヤバい来た!って感じです。そう思ったら最後、もう坂道を転げ落ちるかのように押し寄せてくる空腹感。もう自分の意志では止められません。小さな音ならまだ知らん顔できますが、部屋中響くような時には黙っていられません。「すみません」って小さな声で謝ります。クスクスって笑いが起こる時はまだマシなんです。チラッと冷たい視線を向けられた日には居心地悪いのなんのって。家でごはんを後回しにして、夢中で本を読んでいたって鳴らないのになんでよって心の中で叫んでしまいます。一体どうしたら克服できるのか知りたいもんです。グーって鳴るのを止める方法、誰か知りませんか?次のミーティングまでに急募です。
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日めくりカレンダー
先日、頼まれて半日だけ知人のオフィスのお留守番に行きました。
「電話がかかってきたら要件を聞いてメモをし、後で折り返しの電話をすることを伝える」「メールをチェックして、もし急ぎのものがあればすぐに連絡を入れる」と、それさえ守っていれば、その他は好きなことをしていても良いというので、即効OKの返事をしてパソコン持参で行ってきたのです。
そこは、街の喧騒がうそのように静かなオフィスでした。さてと、というわけでオフィスの中を見渡していると、壁に日めくりカレンダーがあることに気づきました。日にちが大きく書いてあって、後は何やら細かい文字で文章が書かれています。あれっ?今日は何日?それは、3日前のカレンダーです。きっとめくり忘れているんだと思った私は、壁からそれを手に取りました。手に取ってカレンダーの文章を読んでみると、「へぇ」と感心することが書かれていました。1枚めくって読み、また1枚めくって読み。なんていうか、忙しい毎日のオアシスになるような心に沁みる温かい文章ばかりでした。ふと、もともとのページにもう一度戻ってみて思いました。もしかしたら、そこに書かれていることがすごく心に響くものがあって、あえてそのページを開いてあったのかなと。私はカレンダーを壁に戻しました。もちろん、そのまま時を止めて。
映画が先か小説が先か
小説やコミックが映画化されることはよくありますが、映画を観るのが先か、小説を読むのが先かで、その印象は大きく変わります。原作を読んでいない作品の映画を観てから小説を読む場合にはさほど影響はないのですが、逆の場合はそれはそれは、ビックリすることがあります。小説は、読む人によって頭の中に浮かぶ映像は全く違ったものになっていて、100人の読み手がいれば100通りの映像があるはずです。私も小説を読んでいると、いつの間にか主人公をはじめ登場人物の顔や姿が頭の中に出来上がっています。だから、映画を観たときに「ほっほー、そう来たか」と思うことがあります。
この前観た映画は、まさにそれ!主人公を演じている俳優さんは有名で、その作品についてテレビでも何度となく話をしていたので、違和感なく受け入れられたのですが、脇を固めている俳優さんのうち一人は、私の頭の中の人物とはおよそ似ても似つかない人で、思わず「へぇー、そうなんだ」と声を出してしまいました。なぜなら、その俳優さんは正統派のどっちかというと可愛い系の大学生って感じだったんだけど、私の頭の中の彼は、もっとむさくるしい感じでワイルドな青年だったからなんです。
そして実際に映画を観た感想は、その俳優さんは上手く演じていて、映画の仕上がりもなかなか良かったと思います。ただ、ただですよ。やっぱり私の頭の中との差は埋められることはなく、「私ならあの俳優さんをキャスティングするのになぁ」なんて勝手に監督になり切っていました。
でも、考え方によっては、自分の持っていたイメージとの違いを比べながらの映画鑑賞って、「それも楽し!」ですよね。
私の紅茶
今の私はコーヒー派だけど、学生の頃はだんぜん紅茶派でした。母の好みで家の戸棚の中には数種類の缶がいつも並んでいました。そして、私は受験勉強中の深夜にひとり、一応勉強の休憩時間という名目でしたが、その日その日で缶を選び、ポットに熱いお湯を入れてゆっくり時間をかけて蒸し、丁寧にマイカップに注いだものでした。そして、その何とも言えない美しい色に、飲んでしまうのが惜しいと思ったものです。学生時代の深夜の紅茶は私の秘密の楽しみだったように思います。家族が寝静まっている時間に、キッチンでこそこそとリンゴを剥いたりもしました。いっしょにリンゴを食べるのが、なんとも幸せに思ったものです。ときには、オレンジマーマレードやジャムを入れて、「今日の私の紅茶」なんて独り言を言っていました。そして、そっと口に含み、その時の気持ちをノートに綴っていたのです。そうそう。時にはカップに向かって話かけたりしていましたね。私はちょっと変わった少女だったのかもしれません。昔から私は勉強をしないといけない肝心な時に、ポエムを書いてみたり、短い物語を書いてみたりしていました。で、そのまま机に突っ伏して寝てしまって、明け方にごそごそと布団にもぐりこむのです。
なんだか懐かしい時代です。久しぶりに今日は紅茶にしてみようかな。
人の振り見て
遠出する途中で、ガソリンが心許なくなったことがありました。少し走ったところにあったスタンドに入ったところ、休日だったせいかとても混んでいました。列に並んでしばらくすると、どうやらしびれを切らしたらしい人が割り込みをしようと車を動かし始めました。幸いにしてスタンドの店員さんが止めてくれたのですが、するとその人は、捨て台詞を残して行ってしまいました。
何だかちょっと、マンガか小説の1シーンのようだなあ、と思って見ていました。割り込みしたくなる気持ちは分かりますが、事故の可能性や、きちんと並んでいた人のことを考えると、やってはいけないことですよね。
しかし私も、ついつい店員さんに対して横柄な態度をとりたくなったり、自分こそを優先してほしいような気持ちになることがあるので、人の振り見て我が振り直そうと思った出来事でした。
更にその日の遠出先のお店でも、ちょっとしたトラブルがあったのですが、大人として冷静に対処する難しさと大切さを痛感しました。特に自分に被害が及ぶこととなると、どこまで要求したら過剰なのか、正当なのか、よく分からなくなってしまいます。トラブルを出来るだけ気持ちよく終わらせるためにはどうしたら良いのか、色々と考えさせられました。
おいしいおそば屋さん
特定の地域のみで使えるお得な商品券をいただいたので、家族でおいしいおそばを食べに行ってきました。うどん派としては不服な選択肢だったのですが、その認識が綺麗にころっとひっくり返るくらいおいしかったです。
山腹に沿った蛇腹道を越えた先にひっそりとたたずんでいたそのお店は、最初はなかなか見つけられませんでした。住所を入力したはずのナビは「目的地付近に着きました。ルートガイドを終了します」と言うだけでちっとも当てにならず、小さな看板や、道行く人に尋ねてやっとたどり着くことが出来ました。
メニューは十割そばや辛味大根そばなど、町のお店ではちょっと食べられそうにないものが並んでいました。そしてそのほとんどが自家製とのこと。おなかが減っていたので、天ぷら付きの十割をお願いしました。セットには天然水を満たしたお椀が付いていました。まずはこれで、そのままの風味を味わってくださいとのこと。おそばってこんなにおいしかったんだ、と思いました。大げさでなく。
つなぎが入っていない分やわらかく、香りが強いように感じられました。天ぷらに使われている野菜や山菜も、スーパーで売っているものより風味豊かで、とてもおいしかったです。これで料理物の時代小説などを読むときも、味のイメージをしやすくなるかと思います。また行こうと思います。
本を読む場所
飲食スペースのついたブックカフェ、最近よく見つけます。お店で買った本を、お茶を飲みながらゆっくり読むことができるスペースがあるなんて魅力的ですよね。私も大好きです。本を買って家に持って帰ってしまうと、なかなか落ち着いて読むことができない日が多いんです。でも、買ってすぐにお店に併設されているカフェで読むことができると、不思議と落ち着いて読書に集中することができるんですよ。家ではない場所って落ち着いて本が読めるのかもしれません。図書館も同じで、家よりも集中して何時間も読書ができるんですよ。
カフェの良いところは、美味しいものを飲んだり食べたりしながら読書も楽しめることです。私がいつも行くお気に入りのお店は、和風メニューが豊富なんですよ。お抹茶とかあんみつとか、甘味を楽しみながらの読書は最高の贅沢ですね。でも、通いすぎると太ってしまうのでほどほどにしようと気をつけていますが…(苦笑)
自分のスタイルに合った読書スポットを探すのって楽しいですよね。屋内だけでなく、公園のベンチなんかも気持よくて好きです。自宅の部屋以外で、落ち着いて本が読める場所、他にもないか探しているところです。お天気の良い日に開拓してみようかな。
日本の恐い話
日本の恐い話「やまんば」や「のっぺらぼう」は誰しも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。私も小さい頃に、おばあちゃんによく聞かされては震え上がった定番のお話です。日本の怪談って、海外のそれとは違う恐ろしさがありますよね。海外は、どちらかと言うと「ゾンビ」や「ドラキュラ」などモンスターが襲ってくるような、迫力のあるホラーが多いと思います。それに比べて日本のホラーは、暗闇から音もたてずに…とか、生暖かい風が吹いて…とか、背筋がゾゾゾっと凍るような静かに迫るようなものが特徴的でしょうか。
最近、そういった日本のホラーを海外の映画監督がリスペクトしてオマージュ作品が発表されることもありますが、やはり日本のオリジナルのものとはちょっと違うんですよね~…。あの静かな恐ろしさって、日本人独特の感性から生まれるものなのかもしれません。
代表的な恐い話の一つに「おいわさん」があります。お皿を数えているシーンは、あまりにも有名ですよね。あまりホラーを見たり読んだりすると眠れなくなるのが難点ですが、誇るべき日本の文化の1つとして、これからも語り継がれていくと良いなと密かに思っています。「おいわさん」のように、長年語り継がれる作品がなくなりませんように。
お休みの使い方
次の休みは予定が空いているので、どこに行こうかな~どんなふうに時間を使おうかな~と検討中です。隣町のお気に入りの図書館に行ってみるのもいいし、ちょっと遠出して海に行くのもいいなあ。ずっと遊びたいねと話していた友達にメールしてみようかしら?やりたいことは山ほどあって悩んでしまいます。
そういえば先月、隣の駅に小さなカフェがオープンしたらしいので、そこに行ってみるのも良いかもしれません。モンブランのケーキがとても美味しいと話題のお店です。開店したばかりですが、土日は行列もできているらしいですよ。今はオープン価格で、紅茶とケーキのセットでなんと500円!ワンコインで素敵なティータイムが過ごせるなんて素敵じゃないですか。せっかくなので、友人も誘ってみようかな~。
こんなふうに、休日の過ごし方に想いを巡らせる時間って大好きです。「なにをしようかな?」と考える余裕がある生活ってとても贅沢なものだと思うんです。やりたいことが何もなくて、寝て過ごす生活なんて嫌ですもの。私の祖母がそういう考えの人だったので、影響を受けたのかもしれません。せっかくのお休み、自分がやりたいことや気になっていたことをやって有意義に過ごしたいと思います。
珍しい生き物を飼う前に
近年、ペットを飼うことがとても容易であるかのように謳われている気がします。書店に行くと、ペットの雑誌や飼育指南書が各種取りそろえられています。犬や猫、鳥だけでなく、最近はヘビやカエル、ハリネズミなどエキゾチックアニマルを飼育している人も多いようです。雑誌などを見てみると「簡単に飼える!」という文句で宣伝されていますが、果たして本当にそうでしょうか?エキゾチックアニマルというと、もともと日本にはいない品種の動物ですよね。日本の気候では自然に飼えないものも多く、ヒーターで温度管理をしたり湿度に気遣ったりしなくてはいけないようです。そういった種類の動物を「誰でも飼えます」と宣伝してしまうのは、些か無責任なのではないかな?と感じました。
命を扱う以上、正しい飼い方を知ることは最低限の義務だと思います。簡単に飼えると思って手に入れたら、手に負えず…では生き物にとっても迷惑な話です。ヘビやクモなどを家で飼う場合、人に危害が及ばないために細心の注意を払うことも必要です。家畜ではなく、人間とは別のところで生きてきた生物を扱うというのは、簡単なことではないようですね。国境を越え、様々な種類の生き物に親しめるようになったのは良いことかもしれませんが、それに伴う人間の責任も忘れてはいけませんね。