植物は文学が好き?

職場に置いている鉢植え。同じ時に買ったもので同じくらいの大きさだったのに、その成長に随分差が出てしまったんです。棚の上に3つ並べて置いていたのに1つだけが異常に成長していて、どんどん大きくなるから鉢もひと回り大きいものに植え替えました。一番、音楽がよく聞こえるところに置いてた鉢だから、音楽を聴いて伸びたんだと思うんです。野菜だって音楽を聞かせると美味しくなるって言いますものね。あまりに差が出たから場所をローテーションしてみたんだけど、なんだかもう勢いがついちゃって、成長が止まらないって感じだったんです。もうすぐ天井に届きそうで、『ジャックと豆の木』を思い出さずにはいられません。仕方なく、先日、半分くらいのところでカットしたんです。枯れないようにとお水を沢山あげて、「ごめんね、このままだと天井に届いちゃうのよ」って声を掛けて。枯れてしまわないかどうか心配だったけど、大丈夫でした。それどころか、カットしたすぐ横に新しい芽が出てきたんです。元気なことは嬉しいけど、「まだあきらめないで上に伸びようとするとは!」とビックリでした。その時、あることを思いついたんです。あとの2つの鉢植えに朗読を聞かせてみたらどうかなって。2つを別の場所に移動しました。毎朝の掃除の時に、何か小説の一節を聞かせるんです。彼らには音楽ではなく文学の効果を確かめてみようと思っています。これからが楽しみです。

なりたい職業

子供頃からの夢を叶えている人が意外にも多いという記事を読んだことがあります。仕事に関しては、そんなに簡単に夢は叶うものではないという印象だったから、記事を読んで少し驚いたんです。そして、じゃあ私はどうかというと、思い返してみると、幼い頃から色んな職業に憧れてきたなぁって、つくづく思います。それは私には記憶さえない時から始まっています。その頃はまだキャビンアテンダントという言葉でなく『スチュワーデス』と呼ばれていて、私は飛行機なんて乗ったこともないのに、どこから知ったのか、「大きくなったら何になりたい?」と聞かれたら、「スチュワーです!」と舌っ足らずに答えていたそうです。自分の記憶としては、小学生の時にはテレビと読んだ漫画の影響で、歌手になりたいと思っていました。というか、その頃は疑いなくなれるものだと本気で思っていましたしね。でも、小学生の頃にはすでに読書も大好きだったから、歌手じゃなかったらお話を書く人になろう、なんて考えてもいました。そして、こっちもなれるものだと思っていて、「どっちになろうかな」とか「両方できるのかな」なんて真面目に悩んでいました。その後は、アナウンサーになりたかったり、女優になりたかったり。でも結局、普通に就職してしまって……転職も経験して今に至る、です。けど、いつもそばに本のある生活をしていることを考えたら、ある意味、夢は叶ってるのかなって思います。

ほんとうは『お姉ちゃん』

ここ数ヶ月に読んだ小説に何度か出てきたのが、登場人物の心と体の性が異なるというものでした。どれも登場人物に寄り添って丁寧に描かれていました。心と体の性が異なるって想像しただけで、どんなに苦しいだろうと胸が痛くなります。なんとか力になりたいって思います。
今読んでる小説に登場している男子中学生もそうなんです。ある日、妹の友達の前で初めて本当の自分の姿をさらけ出すんです。その子に手伝ってもらいながら、スカートとキャミソールに着替えるシーンには本当に心が痛くなりました。私のイメージでは彼はドラえもんのジャイアンのような外見の中学生です。でも、彼の心は誰よりも乙女だと思えるんです。サイズがちょっとキツイと言いながら、なんとか着替えようとします。みんなが普通に過ごしている毎日がどんなに辛いだろう、悲しいだろうってその気持ちを考えたら涙が出てきます。小学生の妹の友達も、実はその子が主人公なんだけど、それまでは「お兄ちゃん」と呼んでいたのに、素直に「お姉ちゃん」と呼ぶんです。小学生の彼女は可愛そうだからとか、仕方なくなんていうことではなく、「お姉ちゃんって呼んで」と言われた瞬間から、きっとそれが正しいんだと感じ取るんです。だから、本当に自然に「お姉ちゃん」と呼ぶんです。でも、それが二人の秘密だってことは十分に理解しながら。「お姉ちゃん」になった男子中学生は後半、どこかに姿を消すんだけど、小説には『彼女』の心のうちを一切書いてないんです。淡々と主人公との二人の時間での事実のみが綴られているから、なおさら心に響きます。『彼女』は自分の世界を見つけることができたんだろうかと身内を心配するような気持になりました。この物語には他にも様々な問題が散りばめられていて、『自分には何ができるんだろう』と自問自答させられる作品なんです。

分かってるんですけど

今はドラッグストアに行くと、シャンプーやトリートメントは容器入りの物よりも詰め替え用の方が沢山売られているような気がします。私もついつい安さにつられてそっちを買ってしまいます。というより、容器は今使ってる物が家にあるんだから、買う必要はないって思うんです。そして、ほぼ空っぽになったらお風呂で使うときに詰め替えるんです。もっと厳密に言うなら『詰め替え』ではなく『継ぎ足し』です。けど、これって、あんまり良くないんですよね。以前に何かの記事で読んだことがあります。でも、ついつい面倒でそうしてしまっています。
そしたら、先日、この行動について『危険』だと書いてある記事を見かけました。「わかっってはいるんです」という気持ちでその記事を読みました。けど、『危険』と書かれると、やっぱり気になります。詰め替えの時には、一度洗って乾燥させないとお風呂の湿気で繁殖している菌をどんどん増殖していくことになるんだって。菌まみれのシャンプーで髪を洗うなんて考えたらゾッとします。もう一つ別に容器を買って、そこに詰め替えれば、洗って乾燥してから使用することができますよね。以前にもそう思ったことはあるんですけど、実行ができていませんでした。でも、今回は『菌まみれ』をイメージできたから必ず実行します。もう『継ぎ足し』はしません。

それが今は第一位です

毎日、パソコンに向かう時間が多いからどうしても肩が凝ってしまいます。時々、マッサージに行きたいなって思うけど、それは病気とは違って優先順位からしたらあまり高くならないから、どうしてもそのままになってしまいます。だから、美容室で仕上げのシャンプー後に軽くマッサージをしてもらうのがすごく楽しみだったりするんです。先日もマッサージをしてもらってたら、いつもの担当の人が「ものすごく凝ってますね」って言ったんです。そのときは自分ではそんなに意識していなかったんだけど、肩を揉んでもらうと気持ちいいのなんのって。そしたら、「髪を乾かして仕上げる間にコレを貼っておきましょうか」って彼女が何かを持ってきたんです。私の肩甲骨あたりに貼ってくれたのは低周波マッサージ器だったんです。見た目は薄くて、湿布のような感じ。でもボタン電池で動くんです。それは見た目の薄っぺらさとは裏腹に結構な力で振動します。私の体がビクビクと動いてしまうんですから。そして、その気持ちのいいことと言ったらありません。それまで雑誌を読んでて、ちょうどコラムの途中だったのに、あまりの気持ち良さについウトウトしてしまっていました。結局、コラムは読みかけのまま髪はキレイに仕上がって席を立つことになりました。持ち運びもできるあの低周波マッサージ器は、私が今欲しい物の第一位に浮上しました。

やっぱり余計なお世話です

先日の朝、職場の最寄り駅のコンビニに寄りました。サラダとおにぎりを持ってレジに並んでいたら、私の前に並んでいた女性が、少し離れたところに立っていた友人らしき二人のうちの一人に声を掛けたんです。「メガネ、もう少し上げた方がいいんじゃないの」って。言われた女性はすぐには意味がわからなかったみたいで、少しきょとんとした顔をしていました。でも、メガネをどうするわけでもありませんでした。それを見た彼女はもう一度言ったんです。「メガネ、もう少し上げたら?」って。けど、たぶん本人にしたら下がっているという意識はなかったみたいなんです。その女性にとってはその位置が『普通』だったんだと思います。私は内心、そんなこと他人から言われることじゃないよねって思っていました。下がってると思えば自分が気持ち悪いわけだから上げるだろうし。たぶん、私の前にいた女性もよかれと思って言ったんだとは思うんだけどね。『ひとそれぞれ』っていう言葉がピッタリの出来事でした。でも、このお話には実は続きがあるんです。その日の帰り、私は偶然にもそのメガネの彼女にまた会ったんです。駅構内のATMに向かっていた私は通り過ぎたカフェでお茶を飲みながら一人で本を読んでる彼女を見かけたんです。本を読んでるその姿にメガネがとても似合っていました。やっぱり今朝のことは彼女にとっては余計なお世話だったんだと改めて感じました。

これは錯覚?勘違い?

人間の感覚ってアテにならないなって時々思います。目の錯覚を利用した芸術作品がテレビで紹介されているのを見たことがあるけど、ホント驚きです。意識を変えると真実が見えてきたりもするから、脳が誤った判断をするってことなんですよね。
そんな芸術作品とは全く関係ないんだけど、錯覚の一種かと思えることが先日私にもあったんです。その日、私は電車に座って本を読んでいました。本に夢中になって乗り過ごさないようにと停車駅を気にしながら文字を追っていました。しばらくページを進めてから、「まだ着かないよね」と自分に確認しながら顔をあげて窓の外を見ました。そしたら、なんと電車は私が帰る方向と反対に進んでいるんです。「逆向きに走っている!」と思った私はものすごく焦りました。「乗り過ごすどころか進行方向が逆だなんて」と。どうなっているのか理解できません。思わず本を閉じてバッグに入れました。そしたら、車内アナウンスが聞こえたんです。「次は……」それは、私が降りる駅の一つ前の駅の名前でした。その瞬間、進行方向が正しくなったんです。私は乗り間違っても乗り過ごしてもいませんでした。電車はまったく普通に走っていたんです。つまり、私の脳が錯覚を起こしていたってことなんです。アナウンスが聞こえた瞬間に見え方が変わったという事実に驚きしかありませんでした。本当に私の脳はアテにならないなってつくづく思いました。

『アボカドファースト』がおすすめ

女性には圧倒的な人気のアボカドです。私も大好きです。私の知人に専門店をやってる人がいるから、何かと関わりも多いんです。肌や髪など美容にはすごく良いと言われています。でも、実は男性にとってもイイらしいんです。
先日、見かけた記事には女性にも男性にもおすすめの『アボカドファースト』という言葉が載っていました。それは食事の最初にアボカドを食べるというものです。そうすることで、健康にもダイエットにもイイというんです。その効能については、今までも何度となく色んな雑誌や本でも読みました。肌を若々しく保つビタミンEやむくみ防止になるカリウム、お通じをよくする食物繊維などが豊富だということは良く知られています。『森のバター』とも呼ばれていますけど、その脂質はオレイン酸だから悪玉コレステロールを減らしてくれます。食事の初めに食べると血糖値を上げにくく長く満腹感が続きます。また、空腹感を満たし、食べ過ぎを防いでくれるからダイエットには効果的なんですって。一日半個から1個で十分で、食べ過ぎはやはりカロリーオーバーになるから要注意です。また味付けは塩分過多にならないように気を付ける必要もありますよね。お醤油やごま油をちょこっとかければ抜群に美味しいですけどね。ダイエットした方がいいであろう知人の男性がいます。『アボカドファースト』を教えてあげようっと。

音読が大事なんです

聞き流す英会話の宣伝をよく耳にしますけど、やったことがないから何とも言えないんだけど、どうしてもそれで話せるようになれる気がしません。よく赤ちゃんが言葉を覚える時には……というフレーズがありますけど、自分自身の環境とは全く違うんだからその理屈は合わないって思ってしまうんです。それに、YouTubeでいつも見ているレッスンがあるんですけど、そこでは『英語は頭で覚えるんじゃなくて口で覚えるもの』って言ってるんです。だから声に出して言ってみるのが上達の近道だと。それも絶対だと思っていたわけではないけど、喋るためにはやっぱり声に出す必要がありそうだとは感じていました。そしたら先日、それと同じようなことが書いてある記事を読んだんです。日本人は中学校、高校と英語を1000時間以上も学んでいるのにほんの一握りの人しか話せないと。そこで、話せない理由を考察してあったんです。そして、一番大きな理由は話す機会がないというものでした。そこには話したことがないのに話せるはずがないと書いてありました。やったことがないことができたら、それは天才だと。英会話スクールに通う時間もお金もないとしたら、格安で受講できるスカイプ英会話があります。けどそれよりも、もっと簡単に一人でできる方法が音読なんだそうです。話すことは口を動かす運動だから普段から動かす訓練が必要なんだというんです。音読をすると、口も耳も使うから覚えやすいというのは納得できます。実際に今までも自分で繰り返し声にだして練習したことはスッと口に出ますもの。さらには、自分の考えを英語でまとめて音読するともっといいんだって。いざという時に話題に困らないんだそうです。なるほど、です。これ、実行してみます。

つい叫んじゃいました

自分の状況を考えられずに、とっさに声が出てしまうことってあるんですね。先日、そんなことがあって、自分でも驚いたんです。それは週末の通勤のときのことです。電車が平日より空いてるから気分も軽く、座って本を読んでいました。周りを見ても結構みんな本を読んでいて、「今日は読書率が高いな」なんて思っていたんです。そこまではなんの問題もなく快適な通勤だったんです。それが、途中の駅に電車が停車した時のことです。ふと顔を上げて駅のホームに目を向けたら、友人の姿が見えたんです。思わず「あっ!」って叫んでしまいました。本当は続けて彼女の名前まで呼びそうだったんだけど、さすがにそこは「あっ、いけない」って飲み込みました。でも、かなり大きな声を出してしまったみたいで、私の周りの人全員の視線が私に集中しました。もう恥ずかしいのなんのって。顔が火照りましたもの。冷静に考えたら、電車の中に座りながらホームを歩いている人に呼び掛けたところで聞こえるはずないのに。心の中で、「やっちゃったな」って大反省です。そういえば、それとよく似たことで人違いをしたこともあります。前からこっちに向かってくる人が知人に見えて思わず手を振ってしまったけど、近づいてきたら別人だったっていう……。意識するより先に『つい』ってことなんですよね。そそっかしいんです。もうちょっと冷静にならなきゃね。