劇的な片づけがもたらすもの

本屋さんの店頭には、片づけに関するものがすごく沢山あります。先日読んだ本には、部屋が片付くと人生も変わるって書いてありました。私は、時々片づけもするし、部屋の模様替えもします。けど、よくよく考えてみると、片づけと思っていたけど、本当の意味では片づけではなかったかもしれません。なぜなら、片づけの基本は要らないものを捨てることだって書いてあったからです。たまに、もう読まない本を古本として手放すけど、その他の物はけっこう押し入れにしまい込んでいます。どうもそれがダメらしいんです。押入れの片づけから始めましょうって書いてあったんですもの。大事な事は過去への執着をなくすことなんですって。そう言えば、過去に執着しているかもしれないなって思います。そして片づけは『過去に片を付けること』なんだって。なるほど。捨てることは選ぶことだから、それが常に出来るようになれば、人生でも正しい選択ができるようになるらしいんです。人生で何が必要で何が要らないか、何をやるべきで、何をやめるべきかが、はっきりとわかるようになるんだって。
今までの私の片づけは、押し入れの中の配置換えに過ぎなかったし、部屋にしたって物の位置をグルグル回しているだけですもの。ちょっと頭の切り替えをしなくっちゃ。そして、今度こそ、人生まで変わるような劇的な片づけに挑戦してみようと思います。

河川敷の白い花

この前、久しぶりに会った知人から何枚かの写真を見せてもらいました。それは、河川敷一面に咲いている白い花の写真です。川をはさんで反対側は今度は黄色い花が一面に咲いています。「わぁ、すごい。キレイ」と思わず声に出してしまいました。それはどこかというと、兵庫県の豊岡だということでした。以前、仕事で訪れた時にあまりの美しさに撮ったとのこと。その白い花は大根の花だそうです。黄色い花はカラシナの花。どちらも自生してるんだって。つまり、勝手に生えてるってこと。それがまたスゴイ!知人いわく、ちゃんと食べられる大根だそうです。「誰がが管理してるの?」って聞いたら、「自生って聞いたから誰も管理なんてしてないんじゃないか」って。じゃあ、勝手に抜いて食べてもいいってこと?うーん。これは未確認なのでわかりません。それにしても河川敷一面が大根畑になってるなんて、ほんとに驚きです。そして、この風景は地元の本にも載ってるんだって。その本のタイトルがまた変わってて『弁当と傘』っていうんです。このタイトルを聞いた時、私はいつか読んだ小説の中に同じようなことが書いてあったのを思い出しました。『弁当忘れても傘忘れるな』って言われてるって。たしか舞台は金沢だったと思うんだけど。なんでも、山陰地方から北陸地方までの日本海側はとても天気が変わりやすくて、晴れてると思っていても急に雨が降り出すことが多いことを表しているとその小説には書いてありました。勝手に咲いてるという大根の花、いつか見に行きたいな。そして、その風景が載ってるという地元の本も一度読んでみたいな。

長いのは苦手

この前、あるコラムを読んでとっても嬉しくなりました。なぜって、私が思ってることと同じことが書いてあったから。それは、小説の登場人物の名前が長いと全然覚えられないってことなんです。特にそれが外国人の名前なんて日には、もうお手上げです。「これは誰?」「この人、出て来たっけ?」なんて、何度前に戻ることか。コラムにも、名前が長すぎて、ストーリーが頭に入って来なくて困るって書いてあったんです。本当に同感。昔、ドフトエフスキーを読んだ時には、登場人物の名前を書いて相関図を自分で作成しながら読まなきゃならなかったんだもの。今となっては、外国人の長い名前の小説は自然と避けるようになってしまっています。もちろん、日本の物でも長い名前もありますけど、外国人のそれよりはまだ頭に入ります。どうもカタカナの長い文字列を判断する脳みそが欠損しているみたいです。
でも、そういえば、漢字の良く似た文字列も苦手かも。歴史上の人物では、源の誰々とか、徳川誰々とか、名前の漢字が一文字しか違わない人が沢山います。思えば、日本史のテストの時、その区別も苦手でした。だから、たまに読む歴史小説もメモに頼りながら読んでいたりします。こういうのって、みんな平気なんでしょうか。小説の人物の名前は、お願いだから短くて簡単なものにしてください。太郎や花子でなくても、キラキラネームでも構わないから。あくまで個人的な意見ですけど、これって。

これからどちらへ?

先日、電車で本を読んでいたら賑やかな声が聞こえてきました。本から顔を上げると、途中の駅から乗り込んできたグループです。年配の人達なんだけど、男女混ざっていてみんなリュックを背負って帽子をかぶっていました。とても仲が良さそうで、本当に和気あいあいという言葉がぴったりでした。何人かは情報誌のような雑誌を持っていて、それを見たりしていたから、これからみんなでどこかにハイキングか軽登山に行くのかもしれません。とにかく楽しそうでした。その雰囲気は、学生がわくわくでお出かけするのと同じような感じだったんですもの。見ていたら、羨ましくなってしまいました。昔からの友人の集まりなのか、それとも同好会とか愛好会とかそんな集まりなのか、それはわからないけど、そんな風に男性、女性が混ざって楽しそうな様子ってとっても好感が持てます。あまりアウトドア派でない私もあんな風にみんなでどこかに行ってみたいなって思えてきました。そして、誰に声を掛けたら実現するかなって頭の中で思い浮かべました。職場の人か、学生時代の友人か……。近場のハイキングでもいいけど、小旅行のような感じでもいいかも。考えてるだけですっかり気分がハイになってしまいました。今度は私が他の誰かから、どこに行くのかな、仲が良さそうで楽しそうだなって思われる側になりたいな。

ただいま解読中

パソコンに向かうことが多いと、ほんと肩が凝ります。ちょっとした時間にストレッチをしたりして気を付けているのに、いつの間にか肩がキーンってなってしまってるんです。たまに行くエステやマッサージでの癒しの時間もいいんだけど、そんなにしょっちゅうは行っていられないし、一回行ったからって完全に解消するものでもありません。日々のストレッチをこまめにするしか方法はないかなって思っていました。
そしたら、この前、すごい物を見かけたんです。外出先で少し時間があったから近くの本屋さんに入ってブラブラしてた時のことです。私の目に飛び込んできたのは『体の大地図帖』っていう大きな文字。表紙のイラストも印象的でした。なんの本かと思って手に取ってみると、なんとツボの本だったのです。ツボかぁ。小説とはかけ離れていて、普段ほとんど興味のない分野です。けど、その時の私がページを開いてみる気になったのは、間違いなく肩こりのせいです。そして中を開いてみてビックリ。ツボってこんなに沢山あるの?体の大地図帳って、いやぁ、ホントに日本地図に匹敵するくらい細かい。肩こりに効くツボは?って探して、少し立ち読みしてしまいました。でも、あいにくそのツボをその場で押すことはさすがにちょっと恥ずかしい。あまりにも細かいし、沢山あるし、実際に押してみないとわからないし……。
そんなわけで、本屋さんを出るときには、荷物がひとつ増えてしまっていました。そして、現在、大地図帳を解読中です。

マリア様の本

この前、お風呂で湯船につかってボーっとしていた時のことです。私がシャワーをきっちり閉めてなかったみたいで、ポタッポタッとシャワーヘッドから水が漏れていました。湯船の中からそれを見ていた私は幼いときのある出来事を思い出したのです。
それは、まだ幼稚園の年少くらいだった時、キッチンの蛇口からポタッポタッと水滴が落ちているのをジッと見ていた記憶です。たしか母に叱られたからキッチンに一人でいたように思うんだけど、はっきりしたことはわかりません。ただ、床に座って水滴を見ていたんです。夜中にひとりでそこにいたと思っているけど、よく考えたら幼稚園の子どもが、いくら叱られたからと言っても、夜中にひとりで起きているのはちょっと不自然です。本当はもっと早い時間だったのかもしれません。しばらくして、私は隣りの部屋から1冊の本を持ってきました。当時、私が通っていたのは近所のカトリック系の幼稚園でした。そこで買ったのか貰ったのかはわかりませんが、マリア様の本がお気に入りだったのです。私は相変わらずキッチンの床に座って、ポタッポタッという音を聞きながらその本を読みました。なぜか記憶はこのシーンだけで、母の姿は出てきません。その後、どうしたのかもわかりません。でも、幼い私は、謝りたいけど謝る勇気がなくて、水滴を見ながら迷い、本を読みながら葛藤していたんだと思います。マリア様の本、今でもまだどこかにあるのかな。
そんなことを考えながら私は、シャワーをしっかり締めてからお風呂を出ました。

寝起きの勘違い

この前、電車に乗っていたら前の座席でうつらうつら寝てる男性がいました。駅に着いた瞬間、その人がパッと起きて慌てて電車を降りたんです。でも、降りる駅じゃなかったらしく、今度は慌てて乗ってきたんです。その後はちょっとバツが悪そうにドアのところに立ってましたけど。あるんですよね、勘違いって。私も電車で本を読んでるうちに、いつの間にか寝てしまっててハッと気づいて「ここはどこ?」なんてヒヤッとしたことが何度かあります。今、自分が乗っている電車が乗換え前の電車か、もう乗り換えた後の電車かが一瞬わからない時もあります。そんな時ってホント慌てますよね。周りからは明らかに慌ててることを悟られますし、ちょっと恥ずかしいです。
時々子どもの頃に起きた父の勘違い事件を思い出します。その日、父は仕事が休みで、私と妹が遊んでる横でお昼寝をしてたんです。そしたら突然ガバっと起きて時計を見るなり大慌てでスーツに着替え始めたんです。私と妹はあっけにとられて、しばらくその様子を見ていました。そしたら父が「遅れる。大変だ」って言ったので、やっと勘違いをしてることがわかったんです。私は「今日はお休みだし、今は夕方だよ」って教えてあげました。時計が指す夕方のその時間が、まさに父が朝起きるような時間で、さらに外の明るさもちょうど同じくらいだったんでしょうね。冷や汗をかきながらホッとしていた父の顔が浮かびます。妹と私は笑いが止まりませんでした。でも、私もお休みの日の起き抜けに、たまに慌てそうになる時がありますけどね。

いい方法、知りませんか

人の体って自分の自由にならないことも多いですよね。たとえば、咳だとかくしゃみもそうです。しゃっくりだってそうですよね。突然出始めた時には困ってしまいます。我慢しようと思っても出てしまうんですから。無理に抑えようとすると逆効果で、とんでもなく変な声が出てしまったりするから要注意です。
私の場合、かなりの確率で困るのがおなかです。そうおなかが鳴るんですよ。家にいる時なら別段問題ではないんだけど、ミーティング中だとか真剣な会議中に鳴ると気まずいといったらありません。さっきまで全然平気だったのに、急に空腹に襲われるというか、ヤバい来た!って感じです。そう思ったら最後、もう坂道を転げ落ちるかのように押し寄せてくる空腹感。もう自分の意志では止められません。小さな音ならまだ知らん顔できますが、部屋中響くような時には黙っていられません。「すみません」って小さな声で謝ります。クスクスって笑いが起こる時はまだマシなんです。チラッと冷たい視線を向けられた日には居心地悪いのなんのって。家でごはんを後回しにして、夢中で本を読んでいたって鳴らないのになんでよって心の中で叫んでしまいます。一体どうしたら克服できるのか知りたいもんです。グーって鳴るのを止める方法、誰か知りませんか?次のミーティングまでに急募です。

万葉集に想う

先日、久しぶりにDVDを借りて家で見ました。そしたら、その映画の中に万葉集の歌が出て来てすごく心を惹きつけられました。万葉集って学校の教科書に出て来て習った記憶はあるけど、詳しくは知りません。でも、映画を見終ってからもその歌が頭から離れなかったんです。だから他にどんな歌があるのかなって。そしたら、ほんとうに恋の歌が多いんですね。好きな人を想う切ない気持ちを歌ってたり、恋人との逢瀬を名残惜しむ気持ちを歌い、今度はその恋人からの返歌があったり、なかには三角関係の中で揺れる気持ちを歌っていたりと、遥か遠い古の世のことだとは思えないくらいの情熱を感じます。そして、歌われているその情景が頭に浮かんできます。さらには、当時モテモテだった男性の姿があったり、一瞬にして恋に落ちる一目ぼれがあったりもするんですから。そうそう、額田王という人は日本のクレオパトラなんて呼ばれるほど恋多き女性だったんだとか。どの歌も相手への自分の想いをこれでもかっていうほど表現していて、現代だったら恥ずかしくてこんなこと言えないんじゃないのかなって思ってしまうほどです。まさにラブレターですよね。ラブレターって今ではもうなかなかナイですもんね。手紙なんてほとんど書かなくなってしまったんですから。私は小学校の時にラブレターをもらったことがあるけど。後にも先にもその時だけです。まぁ、そんなことは置いといて。万葉の時代にロマンを感じて、その恋の行方に今は興味津々です。もう少し古の男女の逢瀬を覗いてみましょっと。

日めくりカレンダー

先日、頼まれて半日だけ知人のオフィスのお留守番に行きました。
「電話がかかってきたら要件を聞いてメモをし、後で折り返しの電話をすることを伝える」「メールをチェックして、もし急ぎのものがあればすぐに連絡を入れる」と、それさえ守っていれば、その他は好きなことをしていても良いというので、即効OKの返事をしてパソコン持参で行ってきたのです。
そこは、街の喧騒がうそのように静かなオフィスでした。さてと、というわけでオフィスの中を見渡していると、壁に日めくりカレンダーがあることに気づきました。日にちが大きく書いてあって、後は何やら細かい文字で文章が書かれています。あれっ?今日は何日?それは、3日前のカレンダーです。きっとめくり忘れているんだと思った私は、壁からそれを手に取りました。手に取ってカレンダーの文章を読んでみると、「へぇ」と感心することが書かれていました。1枚めくって読み、また1枚めくって読み。なんていうか、忙しい毎日のオアシスになるような心に沁みる温かい文章ばかりでした。ふと、もともとのページにもう一度戻ってみて思いました。もしかしたら、そこに書かれていることがすごく心に響くものがあって、あえてそのページを開いてあったのかなと。私はカレンダーを壁に戻しました。もちろん、そのまま時を止めて。